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興国寺(こうこくじ)は、和歌山県日高郡由良町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は鷲峰山(じゅぶざん)。本尊は釈迦如来。 == 歴史 == 安貞元年(1227年)、高野山金剛三昧院の願生(俗名・葛山景倫)が主君であった源実朝の菩提を弔うために創建したもので、創建時は真言宗寺院で西方寺と称していた。葛山景倫は承久元年(1219年)、実朝の暗殺を機に出家。実朝の生母・北条政子は願生の忠誠心に報い、願生を西方寺のある由良荘の地頭に任命した〔『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』、pp.525 - 527〕〔(谷口、2004)pp.25 - 26〕。 願生は親交のあった心地覚心(法燈国師)が宋から帰国すると、正嘉2年(1258年)に西方寺の住職に迎えて開山とした。その後、後醍醐天皇より寺号の興国寺を賜ったという。覚心は、普化尺八を奏する居士4名を宋から連れ帰り、興国寺に住まわせたので、以後当寺は普化尺八の本山的な役割を持つようになった。その弟子の一人、虚竹禅師(寄竹)が尺八の元祖といわれている〔『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』、pp.526 - 527〕。 また、熊野・伊勢地方への布教を積極的に行った。宋で習得した金山寺味噌の製法が弟子から人々に伝わり、やがて醤油が誕生するきっかけとなった〔湯浅醤油 (2012年11月18日閲覧)〕。 天正13年(1585年)、羽柴秀吉の紀州征伐によって伽藍の大部分を焼失したが、慶長6年(1601年)に紀州藩主・浅野幸長によって再興された〔『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』、pp.526 - 527〕。 昭和31年(1956年)、臨済宗妙心寺派から独立し臨済宗法燈派大本山になったが、昭和61年(1986年)に妙心寺派に復帰した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「興国寺 (和歌山県由良町)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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